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世界一周 – イギリス

イギリス

 

■第8カ国め:イギリス

英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)

EUに加盟しつつもユーロ加盟せずポンドを使用するヨーロッパでない国。
人口は約6140万人で、面積約24.3万平方キロメートルは日本の約3分の2。

国語は英語、ウェールズ語、その他。

通貨はスターリング・ポンド。名目GDPは2684億ドル(2008年)、一人当たりGDPは約43736ドル(2008年)。
水は飲用可能で美味しい。ミネラルウォーターは気にする方を除いて特にいらないと思います。

エディンバラの旧市街・新市街

エディンバラは12世紀ころからの旧市街と現代の新市街とが谷地にある駅をはさんで街を構成しており、ちょうど東京の渋谷を立派にしたような感じだなあ、と感じました。そういう場所ですので、あちこちどちらを見ても坂の町。地図ではすぐ近くに見える場所なのですけれども、実際に行こうとすると曲がろうと思った交差点は立体交差になっていて行かれない!なんてのがユニークなところでもあり、それがご当地の当然になっているところが歴史の重みと伝統というものでしょう。そういった歴史と伝統が駅前でご披露されていました。
 エディンバラの旧市街・新市街

私はバグパイプの演奏を聴くのが初めてでしたが、非常に遠くまで通る可憐な音色で、待ち行く人の足を止めてしまう魅力を持っています。バグパイプは、口から吹き込んだ空気を溜めておく空気タンクのようなもの(ごめんなさい、名前が分かりません)があるので、常に吹き続ける必要はない様子で、この紳士は通りがかりの人がコインを投げ入れて行く度に、演奏しながら「サンキュー」と言っていました。もちろん、一緒に並んで写真を撮る人もいて、そちらも演奏を続けながらです。当日は曇り空だったのですが、このバグパイプ演奏の一帯だけ朗らかというか、穏やかな雰囲気になっていて、田舎の村祭りのような空気に包まれていました。

そのまま旧市街のロイヤルマイルを登っていくと、終点はエディンバラ城。修繕工事をしているのかと思ったら、ちょうどエディンバラ・フェスティバルの直前に当たったので、ミリタリー・タトゥーの会場設営がされていたところでした。スコットランドの渋谷駅を過ぎて宮益坂を登っていくとそこは新市街で、金融業界やアパレル関係の店舗が多く、当地の人々の生活で活発に賑わっています。一本路地を入ってみると、エディンバラの人々がパブでビールを飲んでくつろいでいました。こんな素敵な街並みと、ゆったりとした人々の営みが、きっと多くの人を魅了するのでしょう。

エディンバラの旧市街・新市街

”エディンバラは偉大な天才の夢である”
~ベンジャミン・ハイドン~

エディンバラはまるで天国の入口のようです。

LSE

LSEとはロンドン証券取引所の略称。エディンバラからロンドンまでは空路で移動です。空の世界は、航空自由化以降どの国でも格安航空ビジネスが活発になっており、ヨーロッパを移動していると「たった幾らで○○まで飛べます」とか「タクシーの料金で外国の首都まで!」のような広告を沢山みかけますし、「こんな航空会社あったっけ?」と思うような機体を見ることも多くありました。

今回のフライトは、それらのなかでも大手のイージージェットだったのですが、出発ゲートで搭乗を待っていると「カチカチ」とも「パタパタ」ともいうような、なにか回っている金属同士が当たって板を叩いているような音を立てています。目の前の航空機の翼のところでは、ジェット燃料を補給している最中で、補給車がディーゼルエンジンを回している様子でしたので、きっとそちらで音が出ているのだろう、と思っていました。さて、搭乗が開始になり航空機まで歩いていくと、先の金属音は自分が乗る飛行機のエンジン本体から出ているではないですか!なんと、アイドル回転している航空機のエンジンの部品が、どこかに当たって「カチカチカチカチ・・・」と鳴っているんです。おいおい大丈夫か!こちらはスコットランド遠征で疲れているんだから、これ以上疲れさせないでくれよ、と勘違いな不安を抱えて航空機に乗り込みました。結局、航空機は無事ガトウィック空港に着陸。英国の首都に再上陸です。

ロンドン証券取引所

ロンドンは金融産業が活発で、シティと呼ばれるやや東よりの地域に、大手銀行や保険会社などの近代的なビルが立ち並んでいました。その地域から少し外れたところにあるのが、今回のLSE。民間のビルに比べると小さいと言っていい、その規模に驚きます。訪問日は日曜日だったので全館閉まっており、外観からその様子を眺めるだけでしたが、すぐ隣にあるセント・ポール大聖堂が15時の鐘を鳴らして、その日の立会終了を告げているかのようでした。

また、ロンドンでもう一つ見てみたかったのが、スイス・リ社の本社ビル、通称”ガーキン”です。このビルはとてもユニークな形をしているのと、周囲の高層ビル群のなかでも高い方に含まれるので、ロンドンの中心街ならどこからでも見えるランドマークになっているようで、世界中から一目見ようと観光客が集まっていました。このビルは高層ビル街にあるので、写真を撮ろうとするとどうしても周囲のビルが入り込んでしまって、このビルだけ単体で切り出すことが出来ません。そこがまた味わいになっていいのではないかとも思っています。

スイス・リ本社ビル”ガーキン”

ロンドン塔

英国が誇るロンドン塔。良くも悪くも、ロンドンと英国王室の象徴のような建物です。お恥ずかしながら、私はほとんど知見を持ち合わせておりませんので、以下は当地のご案内を引用しましょう。

ロンドン塔

「1075年から1079年の間に建造が開始されたウィリアム征服王の石造の塔(tower)はきわめて印象的だったため、城は今でもロンドン塔(theTower)と呼ばれている。ロンドン市民を支配し、侵略者を阻止するために、王は古代ローマ時代のロンドン市の南東に位置するテムズ川河岸に要塞を築いた。1238年から1240年にかけて、ヘンリー三世はローマ時代のロンドン市の境界を越えて城を拡張し、新しい防壁で城を取り囲んで、ノルマン時代の塔(ホワイト・タワー)を漆喰で白塗りした。王はまた、壮大な西側入口部分を築いたが、不運なことに、これは翌年崩れ落ちてしまった。1841年10月31日の未明、グランド・ストアハウスで火災が発生し、建物は全焼した。民衆は火炎に包まれた17世紀の巨大な建物が崩壊するのを見つめ、画家たちはその光景を筆で描いた。ロンドン塔は、難事に直面した国王達の避難所として使われることが多かった。ヘンリー三世も例外ではなく、王は1238年にここに逃げ込んだが、城の時代遅れの防備に恐怖を覚え、強大な門口を築いて防備を強化するよう命じた。1281年目までに、エドワード一世は父王ヘンリー三世の時代のものに代えて、さらに高度な防備力を備えた新しい濠と入口部分を築いていた。王はヘンリー三世の外側防壁を別の幕壁で取り囲み、こうして同心円状のロンドン塔が誕生した。18世紀になる頃には、城の眺めは非常に違ったものになっていた。塔は煉瓦で増築されて高さが増し、砲台が追加されて大砲が置かれた。住居、倉庫、仕事場の屋根は、外側防壁を越える景色を見渡すようになった。」

 

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